僕と鱸②

高校を卒業後、京都市内の大学に進学した。第一志望校は他にあったのだが、先生の薦めで、年内に推薦で決まった。その途端に浮かれてしまい、受験勉強は即座に中止。そこに行くことにした。ストイックさに欠け、適当な根無し草的な性格はこの頃から変わっていない。

大学進学とともに初めての一人暮らし。「入学式で最初に声を掛けた人が友達になるんだろうな」と思っていた。そして声を掛けたのがA君だった。学校では、新入生を入会させるため、各サークル、クラブの先輩が入部を勧めてくる。僕はきれいな先輩が多かったという理由でA君とともに「クイズ研究会」という、これまでの生活で全く縁のないジャンルのサークルと、中高でたしなむ程度に籍を置いたテニスの愛好会に入った。

このうち、「クイ研」は、他の学校では「ウルトラクイズで渡米、さらに優勝!」など目的があり、硬派なところも多かったのだが、まぁ、うちの学校のクイ研は実にぬるかった。一応ウルトラクイズ出場を目的にしていたので年に一度、“東京旅行”があった他は、スキーやらバーベキュー、ボウリングなど遊びほうけているだけのサークルだった。

そんなある日、A君が「バス釣り行かへん?」と誘ってきた。A君はバサーだったのだ。前回書いたように、当時日高地方にはバスはいなかった。ブラックバスという魚は見たことがなかったので、興味津々。A君の車、マニュアルのオンボロのスターレットに乗って琵琶湖まで連れて行ってもらった。

初めての琵琶湖。おそらく湖西だったと思う。聞いていた通り、まさに海を見ているようだった。浅瀬に目をやると大小の魚影が確認できた。A君いわく、大きいのはブラックバス。小さいのはブルーギルだという。初めて見る魚に興奮したが、これも先に述べた通り、僕はルアーで魚が釣れるとはまだ半信半疑でいた。

「たぶん1匹は釣れるで」というA君の言葉に励まされ、タックルを借りることにした。A君のタックルボックスにはプラグはもちろん、ワームもたくさんあったのを覚えている。ルアー釣りのデビューはプラグだったので、プラグを貸してもらおうとしたのだが、僕にルアー釣りの引導を渡したあの根掛かりが脳裏をよぎった。

さすがに友人のプラグをなくすのも嫌だったので、ワームを借りた。A君もワームの方が釣れると言ってくれた。ゲーリーのグラブのスプリットショットかテキサスのズル引きだったと思う。そして琵琶湖での第一投、ククンとハゼ釣りの時のようなアタリがあった。おそらくギルがワームをつついていたのだろう。

特別なんてないことなのだが、このアタリこそ、「魚ってルアーに食ってくるんや」という自信を僕に植え付けてくれた瞬間だった。このククンという魚信が、これからの釣りに大きな影響を及ぼすことになったのだから、この1匹のギルが人生を変えたのだと言っても過言ではなかろう。

その後、何度もアタリがあるが乗らず。するとA君が「よっしゃ!ヒット」と叫んでいる。駆け付けると30cmほどのバスを釣り上げていた。初めて見るバスに興奮気味の僕。A君は「あそこのウィードにおるから投げてみたら」と教えてくれた。ウィード、ストラクチャーなどなど聞いたことのない英単語が出てくる。なにせ初チャレンジなもので、言われたままに投げると、大きなアタリが出て初バスがヒットした。人生初のルアーで釣った魚はブラックバス。大きさはやはり30cmほどだった。

それからはクイ研内でも釣り好きが集まって、バスやらコイ釣りなどを楽しんだ。高校の時に冷めていた釣り熱の復活である。(続く)