僕と鱸①

「これ、作り物ちゃうん?」――。ボロボロになった子ども向けの釣りの入門書の写真を指さしながら、当時の釣り友達K君は首をかしげた。僕が何度も何度も読み返したそのページに載っていた写真。それには、中学生くらいのお兄ちゃんが釣り上げた「フッコ」の姿が写っていた。

「せやろ? 作り物みたいに、めっちゃかっこええよな!」。小学生の頃、この本の写真のページを何度も読みあさり、フッコという魚に恋い焦がれた。釣り方などもちろん分からない。当時やっていた釣りといえば、キスやハゼの投げ釣り、小アジのサビキ釣り、そして川でフナやハイ(オイカワ)のウキ釣りなど。当然ルアー釣りなど興味すらなかった。それもそのはず、この頃、御坊・日高の平野にはルアー釣りの好ターゲットであるブラックバスやライギョはいなかったのだ。

釣り入門にはフッコは確かルアーで釣れると書いていた。ルアーとは何か。どうしたらルアーで釣れるのか? 御坊小学校正門前にあった前田釣具店のおじさんに聞きに行った。「ルアーでスズキを釣りたいのなら、日高川で釣れるで」と教えてもらった。なけなしの小遣いで、この釣具屋にあったプラグを買った。貯めていた小遣いのほぼ全額が吹っ飛んだくらいの記憶がある。おそらくラパラのCDかFを買ったのだと思うが、定かではない。

いつものキスの投げ釣りのタックルにピカピカのプラグを結んだ。いつもはハゼ釣りを楽しんでいた日高川下流から河口域。当時はまだ天田橋は朱色で野口橋は銀色。新野口橋はできていたかも。御坊大橋については、あったかどうかすら記憶にない。

もちろん、どこがスズキのポイントかは分からない。とりあえずいつもハゼを釣っていた河口左岸部にある導流堤に自転車で行った。おそらく夏休みだったと思う。晴天のベタ凪。プラグを投げるも釣れない。というより、ルアーがまったく飛ばない。すぐにあきらめてイージーに釣れるハゼを狙う。スズキは夢だったが、釣れない魚より釣れる小魚に逃げる。子どもゆえ、それは仕方がなかったのだと思う。

そんなハゼ釣りついでのスズキ釣り(シーバスゲーム)を何度か繰り返す。もちろんルアーも飛ばなければ、アタリもない。ここで名案を思いついた。ルアーが飛ばないのならハゼ釣りの中通しオモリをつけて投げたら飛距離が伸びるのでは。きっとスズキは沖の方の底にいるに違いない。

今、考えたら、あながち間違いではないような気がする。日中に沖のかけ上がりに着いてる個体を狙うわけだから。でも、これが命取りとなった。何回か投げたところで当然のように根掛かり。唯一の武器をロストしてしまったのである。なにぶん高価なものだったので、追加で買うことは難しい。しかし、ショックというより、サバサバとした気分だった。おそらくスズキへの熱は、幾ばくか冷めていたのだろう。「どうせ釣れない」。そう思い、中学校の時はまた、ハゼやキス、そして小アジばかり釣っていた。

高校生になり、夜も友達同士で遊んだ。この頃は意外と釣りから離れて、麻雀やらなにやら、他の覚え立ての娯楽を愉しんでいた。ごくたまに夜釣りに出かけてはキビナゴでタチウオを釣ったりしたが、ルアー釣りは特段、したいとも思わなくなっていた。(続く)

 

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